4.悪魔の薬テグレトール

脳動静脈奇形と治療が出来ない事が分かり、家族も友人も恋人も凹む所の話ではありませんでした。信じられません。特に見た目では変わりはないのに、手が出せない病名を言われ、「死」を突きつけられた私自身も不安で一杯でした。いつ切れるか分からない爆弾が頭にいたなんて

その大学病院からは、てんかんの為に通院も必要だと言われました。定期的な検査も。薬も処方されましたが、始めは2週間程度でした。飲酒、激しい運動の禁止や運動機能が少々衰えていると検査で分かった事も言われました。バリバリ部活とかやってたし、そんな事感じた経験無いんですけれど…。
その後、外来の医者は「この前伝えた通りの結果に変わりは無い」の一点張りでした。何かあの研修医の言い方もですが、彼に責任を押し付けた感じも嫌な雰囲気でした。

さて、検査入院も終えて職場の人に伝えるのをどうするか考えて出社。いつもの様にPCを立ち上げました。「?」パソコンから聞こえてくる音、おかしい…。誰かイタズラしたのかな。先輩にイタズラしたのかと聞いたら、本当にやばいのか?と心配される始末。
私は当時、音に携わる仕事をしていて絶対音感は幼少期から習ったピアノで身に付いていました。とにかく音がおかしいのです。吐き気がする程。とりあえず、検査結果と病気の事を上司に全て素直に話し、その日は体調不良で帰宅しました。

直ぐに病院へ行き脳外の医者へ薬の変更を強く申し出。テグレトールという薬から代えて別の薬にしました。当時からエクセグランと+もう一種類でして、テグレトールをフェノバルに変更した様な…。
結果、音に関しては重いうつ病もあり相対音感の訓練をして戻すまでに5,6年はかかりました。結果的には元通りにはなりませんでした。楽器を弾いている、または音楽に関わっている方がもし読んで下さっていたら、テグレトール等の薬の副作用による音感や音場感の変化はDr.に必ず相談して下さい

仕事においても、大事なポストを外され別のセクションに回る事になりました。上司の信頼もあった為に非常にショックであったのと、積み上げたドミノが崩れていく感覚…。
大病が分かったと同時に掴んだ仕事も外れなければいけない。当時の私にとってWショックで気持ちも整理が出来なくなっていました。未だにナイトメアとして出てくる程悲しい記憶です。

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