14.そして障害者手帳を取得する

セカンドオピニオンに区切りをつけて、抗てんかん薬に悩み仕事も転々。リーマンの影響を受けた方もいらっしゃると思いますが、私も例外なくその様な影響あったでしょうか。私は安定的に就労継続が出来ていませんでした。こればっかりは能力不足、薬の副作用の眠気への対処等が上手く出来ないのもありました。

事務系の座り仕事では無くて、接客業等の立ち仕事なら眠気が来ても何とかと考えましたがボーっとしてしまい怒られる事ありました。長く働いた所で3年でしょうか。いい意味で様々な職種で働きました。
ただ、始めの会社(病気発覚時)の後にも正規雇用でのお仕事をさせて頂いたのにも関わらず様々な要因で退職しているのは未だに残念に思います。病気は「たられば」でしょうか。

パートナーも長い間付き合ってくれましたが、私自身の事と将来性の無さに別々の道を歩む事になりました。せめて正規雇用が続継続出来ていれば…。結局、全て私の行動や病気「たられば」と愚痴りたくもなります。本当に申し訳無い気持ちとやりきれなさが残ります。

大病によってだけでないでしょう。しかしながら、一つの原因として脳の病気がネック。死の宣告から始まる、掴んだ夢やパートナー、失う物が多すぎました。居場所がなくなっていきました。そこで私自身決意しました。「精神障害者手帳」の取得です。

当時の考えでは両親やパートナー達を障害者の家族にしたくない。それが障害者手帳の取得を拒んだ一因でした。せめて「良く分からないけど脳の病気で可哀想だね」程度に留めておきたかったのです。障害者になると、とても大きな壁に周囲すら巻き込んでしまうと考えていました。

ずっと通ってたDr.からも就労にも悩んでいるので、何回か障害者手帳の話はあがりました。しかしながら上記の如く同情を受けてしまう。世間的に理解を得るのも難しい。四肢対含む状態として見た目は普通である私に対し、社会の受け皿は非常に中途半端だと思います。私はDr.の提案には直ぐに乗りませんでした。今思えば私自身に受容が難しかったのです。周囲は昔から特に変わらない状態で私に接してきて、「障害」って程ではないともよく言われました。励ましてくれていたのですが、周囲も受け入れ難かったと思います。

しかしながら、私の目に映る社会にはもう受け皿が少なすぎる。脳動静脈奇形という病気の話も周りは風化している。居場所も無い私の周囲には特に同情を買う必要性も無い。ある種社会的に屈し失った事が多すぎて吹っ切れた。様々ありますがポジティブな材料を探す為に障害者手帳を取得しました

病気が判明して10年以上。取得するのが遅すぎたかもしれません。そこには様々な壁や周囲の理解が当時は無かったと思います。法改正等は進んでいますが、未だにダイバーシティと言う割には様々な問題と多くの方の理解の乏しさに悲しみを感じえません。

障害者手帳2級を取る事になるのですが、何故?精神に該当してしまうのか。脳動静脈奇形だから脳で身体障害ではないのか。てんかんで診断書を貰い、精神障害者保健福祉手帳の該当なのか。
取得や様々な事に色々と発見がありました。因みにてんかんの精神障害保健福祉手帳などの公的援助の事はてんかん協会のページにあります。

手帳の交付手続きの場所が、福祉課。比較的に流れ作業で手続きを終えました。そっか、障害者になるのか。当時上手く受容出来ずに手帳交付の通達が来るまで色々失ったばかりで余計に心がダウンしていたのを覚えています。

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