9.治せない大病を受容する事と社会での不理解

未破裂の脳の病気。いつどうなるか分からないという状態のまま、これから生活していかなければ行けないんだとセカンドオピニオンを経てより一層不安にもなりました。
未だに頭痛やてんかんの少しの発作が来ると恐怖心に駆られたりします。

よく「てんかん」と聞くと、気絶や泡を吹いて倒れるイメージだと周りに言われました。確かに私は強いアルコール摂取、過労に次ぐ過労過ぎだと意識消失を伴うてんかんの大発作を起こしてしまいます。
しかし、普段でしたらちょっと動きたくないな…。めまいがするな…。と言う状態で意識消失まで至らず小発作で終わります。大きく倒れる発作を起こす…と言うのは病気発覚時以外では過労状態の時だけでした(病気が分かった時の会社です)。

さて、まずは家族と周囲の理解も困難でした。パッと見変わらないのに大病を言い渡された。母は「妊娠時に風邪薬すら飲んでないのに」と私の先天性(生まれつき)の病気の実態(血管の奇形である事)の因果関係が母にあるのかと思い、悲しみ自身を責めました※補足までに脳動静脈奇形は、遺伝性の病気では無いそうです。
父は貧しい環境で育ったのもあり、その時が来たら来ただと「侍の様に生きろ」と言われました。てんかんに関しては目の前では小発作しか起こしていないので、酷く心配されませんでした。
友人は驚くものの、お酒が飲めない・ムリが出来ないと認識される程度でした。ですがキャリアを歩む皆に対し、やれセカンドオピニオンやら抗てんかん薬やらで悩む私とは距離が開くのが日に日に実感。健康とは尊い、と20代で悟りました。

一番の問題は仕事等の社会的側面でした。面接などで病気の事をオープンに話すのか?それに関しては難しい問題です。ただし多くでは脳動静脈奇形はおろか、てんかんの方が差別的な扱いを受けたケースに会いました。心の無い言葉を投げかけられる事、面接を切り上げられる事も。やはり自己能力を上げなければ行けないと切に思いましたが、態度の悪い方々に当時はメンタルやられました。
色々な方々に相談した結論として、病気の事は話さなくなりました何故なら脳動静脈奇形を理解しろと言う事自体難しすぎる。そしてこの病気は分からずに血管破裂で見つかるケースが多いからです。無闇に話してもデメリットしかないとの事です。

てんかんにおいては勿論、車の運転はしませんし、高所作業等もしません(悲しいてんかん持ちの事故は起こすべきではないです)自分の健康管理と服薬、出来るだけ一人で昼食を食べ(服薬バレない様に)PC事務や接客業でのバイトで生計を立てて来ました。万が一に小発作が起きるリスクに備え、直ぐに頓服薬を飲める様に準備。発作の前兆が来るのが分かって来たからです。

結局、未破裂脳動静脈奇形という病気の原因は分からない。見つかったのも偶然。セカンドオピニオンによって一つの結論に至ったけれど、特技等の色々な事を失い、自尊心をも失い社会的な壁がより大きく見えました。誰もが始めは「お前の立場じゃないから分からない」です。病気の話だけでなく色んな状況で見られる言葉です。

病気を受容するのは簡単では無いと思います。抗てんかん薬についてはまた後ほど書きますが、これで悩んだのも要因になりました。とにかく様々な形での周囲のサポートは必要だと思います。両親には経済面でも迷惑をかけたと思いますし、Dr.や当時の仕事探しで出会った方々と、どの様にするかの相談やその中での言葉は大きいと思います。しかしながら何でこの病気があるのか、自分自身と自問自答をする事になるのですが…。この先に書く障害者手帳の取得をしても、社会や家族の中ではまだまだ難しいんだと痛感するのです。

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